まるくんは、いなくなってから
比較的すぐに夢に出てきてくれたんだけど

ぽっちゃんは、しばらく見ませんでした。

12月に入ってから、久しぶりに
ぽっちゃんに夢で逢えた時。

部屋に、ぽっちゃんが寝ていて
「久しぶり!!」と駆け寄ると、もう骨ばっていて硬い体。
最期にぽちに触れた時のような感触で、
こんな体になってしまっているんだから、
ちょっとは寝てよ!と怒ったりせずに
優しくすればよかったと、後悔している私。
この夢を見た後は、起きてからも
後悔でしばらく手が震えました。


次に見た夢は
なぜか誰かに言われるがままに「老犬ホーム」を契約した私。
そして今日 ぽちを連れてきていて 預けなくてはいけない。
でも、やっぱい預けたくないから、お金も払っちゃったけど断ろう
うまく断れるかな…と心配している私。
やっぱり心のどこかで介護がしんどくて
逃げ出したかった自分がいたのだろうか。
やっぱりぽちに優しくできなかった自分を責め
そしてこれから一生 自責の念を抱えて生きていくことが
ぽちに「寝なさい!」と怒った自分への戒めなのだろうと
改めて思いました。

こういう夢を見ると、やはり手の震えが収まらず
12月は ほぼ仕事ができませんでした。


次にぽちに会えたのは、ぽちが抱きついてきてくれた夢。
生きていた時は、私が抱きしめるしかできなかったのに
「ぽっちゃん、ぎゅーってできるようになったん!?」と
驚きながら、喜んでいるだけの夢
もう、ぽっちゃんはガリガリの体では
ありませんでした。



その次に会ったのは今年の成人の日。
娘の成人式を見に来たと、ぽっちゃんが話していました。
「ぽっちゃん、話せるようになったん!?
 っていうか、娘は7歳やから成人はまだ先やで?
 でもとにかく会えてうれしい」
と話していたら、ぽっちゃんが
「でも、ほんまの成人の時にはもう来られへん」
と、言っていました。
どういう意味だろう?
天国に行ってから、十年以上経つと
こっちに来られなくなる とかあるのかなぁ?
2015-3-18-1.jpg
いつも そばにいたもんね。




次にぽちに会ったのは、おとついの夢。
帰宅すると、ぽっちゃんがうれしそうに
オモチャを持って出迎えてくれました。
今の家ではなく、一人暮らしをしていた時の家。
また、ぽっちゃんに会えた喜びと
一人暮らしのところからかぁと思っている私。
自分の中の「ぽちの記憶」の
介護ばかりの生々しい部分が次第に薄れ
お互い若くて楽しかった頃を思い出してきているのでしょうか。


だんだんと、ぽちが苦しむ姿を見なくなりました。

でもね、やっぱり今もすごく後悔しています。

もっと薬を飲ませて、眠らせればよかった。
そしたら、私も優しくできただろうし
ぽちも、辛い思いをしなくて済んだ。

飲ませていると効かなくなるので
それが怖くてあまり増量できなかった。

でも、ぽちは思ったより早く死んでしまった。
(心臓がもたなかった)

極度の寝不足で、正気ではなかった私と過ごす最期よりも
後のことは考えず今のことだけを考えて
薬でちゃんと眠れていたら
ぽちを、もっと楽に いさせられただろう…

まぁ、最期の二週間くらいは、なぜか
いつもよりも穏やかに寝てくれることが多くて
声を荒げることもなく、過ごせたのが
せめてもの救いだけども。

でも、やっぱり、”ずっと”
いい飼い主でありたかった。

もう、私とぽちは やり直すことができないので
まだ間に合う人は、残り少ない「後」よりも
「今」を充実させることに目を向けても
たぶん、いいと思います。



最近金魚のことばっかり書いてるのは
金魚がかわいいってのも もちろんあるけど
ぽっちゃんのことを書くと
しばらく涙が止まらなくなっちゃうから
なかなか、書くタイミングがなくてねぇ…






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ぽち★スカ